日本の中心から美容の力を!

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東京で活躍した技術者がUターンし、長野県で31年間経営を続けられてきた理由とは?

全国に約24万軒あるといわれる美容室。次々に新店オープンしては、1年以内に60%近く店をたたんでしまい、10年以上経営し続けられる美容室は5%に満たないのだそうです。

そんな中、長野県内に5ブランド18店舗を展開するMUGEN GROUPは開業31年を迎えます。

この記事では、創業者・町田隆司代表にインタビュー。町田さんの30年以上の歩みに、すぐに結果が出るノウハウばかりが取りざたされては消えていくむずかしい時代を生き抜くヒントを探ります。

プロフィール
町田隆司 Ryuji Machida

1961年2月13日生まれ。長野県出身。サラリーマン時代に一念発起し美容の道を志す。長野県内1店舗を経て、より高い技術教育の機会を求めて上京。日本を代表する美容家・石渡潔氏に師事。その後長野県に帰郷し、美容室『宮島美容室』をオープン。修行時代に身につけた確かな技術と、サラリーマン経験に基づく企業的な経営感覚で店舗を展開。また、美容室の経営のみならず、美容室専用ポスレジとアプリの販売・管理会社(株)インフィニィティも設立。先進的かつ多角的な視点で31年の長きに渡り、長野県の美容シーンを牽引してきた。

地元長野を愛する普通の会社員が、美容師に転身して上京した理由

――修行時代のお話からうかがっていきます。美容師をめざされたのはなぜですか?

元々は長野県内で一般企業に勤めていました。今も変わりませんが、地元長野県が大好きでしてね。このキレイな空と山が見えないと落ち着かないんですよ。

美容師を志したのは、本当に自分の好きなこと、ワクワクすることに情熱を注ぎたいと思ったからです。会社員としての暮らしは安定していましたが、手に職があって、チャレンジできる可能性があって、オシャレができて、人を喜ばせることができて……。そんな美容師の仕事に魅力を感じ、転身しました。

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ストイックな技術者から、熱き経営者への転身

――町田さんは、日本を代表する美容家 故・石渡潔先生の元で修行なさったんですよね。長野が大好きな町田さんが、あえて上京した理由を教えてください。

長野県外に出るつもりはなく、最初は県内の個人店に勤めたんです。ですが、当時は今のようにSNSも動画もないし、情報がない時代。もっと体系的に学びたいと思うと、個人では限界がありました。そこで、技術のスクールを持っている美容室を求めて門を叩いたのが、石渡先生の元でした。

ですから、長野県に帰ってくるつもりでした。「3年で技術を覚えて帰ってくる」と自分の中で誓いを立てて上京しました。

東京での修行時代の経験で「技術がしっかりしている人は必ずお客さまに支持される」と確信しました。この信念は今でも変わりませんね。

――そこから長野県に帰郷され、お店をオープンなさったのですか?

はい。当時は美容師にとって、独立することがゴールでした。特に男性美容師は、修行して独立というキャリアしかありませんでしたね。
また、逆にいうとお店を出せばそれなりに成功できる時代でした。

――そんな中、どのような想い・決意でお店をオープンされたのですか?

サラリーマンから美容師になったので、美容の仕事の楽しさや素晴らしさも人一倍感じていると同時に、もっと変えたいと思うところもありました。

具体的には、働く環境です。当時は今よりもっと、長時間労働・低賃金。先生について、休みなく働くのが普通でした。僕も修行中は1日も休んだ覚えがありません。技術をしっかり身につけるのは大切ですが、がんばった美容師さん本人がもっともっと豊かになり、よい生活ができるようにしたいと思ったのです。

そうして、31年前1店舗目の『宮島美容室』をオープンしました。自分の培った技術をしっかり教えることで、スタッフが一生美容師として生きていく力を与えられる。その上で、お客さまとオーナーだけでなく、スタッフさん自身ももっとしあわせになれる。そんな大きな夢を持ってスタートしました。

ーーパート2へ続くーー

MUGEN GROUP RECUIT Endless Dream